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【2024/03/29】
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【2013/03/20】
土曜日に、何も予定なかったから朝から相方さんと近所をのーんびりお散歩して、午後は数か月先の旅行の段取りをしていたところに、"容態急変"の電話が父からあって、すぐ行けるように備えてたら"いったん落ち着いたから明日来て"と連絡があって、家に戻りかけてたら"心肺停止"の連絡があって、祖父が亡くなりました。大正生まれの厳しい人でした。
10年近く前から書置きをしてて、それを開いたら、自分が亡くなった直後の段取りから、お葬式の希望から、その後の細々した手続きまで事細かに指示してあって、自分の遺影もきちんとネガに丸つけて、自分の戒名まで自分で決めてあった。万全にして行かはった。遺言って感じでもなくて、指示書。几帳面な人だった。戒名なんて、自分は無宗教だとか書いてるくせに、お寺さんが見ても普通にOKな名前だったらしくて、そのまま採用。
お日柄の関係で普通より一日先の告別式になって、ちょっと時間の余裕もあったので、親と私とでその書置きを読み込んで、希望に沿うように準備した。簡単な希望だけだったけど。
90歳っていう年齢もあるし、こんなに最後まで自分の思った通りにしてもらえて、絶対満足だろうなぁって思えて、満足だろうって思えたのもきちんと書置きしてくれたおかげなんだけど、おかげで自分も満足で、立礼のときとか思わずにこにこしてしまってたから、町内会の人とかには訝しがられたかも。
私に限らず親戚一同、悲しむ雰囲気は無くて、おつかれさまって感じの和やかなお別れだった。穏やかだったんだけど、出棺のとき、お気に入りの服着せてもらって、みんなにたくさん花入れてもらって、たくさん言葉掛けてもらって、孫3人(自分たちw)も元気に揃ってるし、労われてにこやかに送りだしてもらえて、この人ほんとに幸せだなぁって思って、ずっと介護してた母から最後に花束添えてもらったのを見て、急に泣けてきそうになって困った。泣く雰囲気じゃないし我慢したけど。最近、辛いことより人の幸せに対して涙腺弱くなってる気がするなぁ。
今考えても泣けてくる。幸せな人だったと思うよ。満足だろうな。

これまで、最後寝たきりになって意思疎通も難しくなるような歳の取り方ってできれば避けたいと思ってたんだけど、本人と家族の双方にとって、徐々に生を諦めて心穏やかに(本人にとってはこの世と、家族にとってはその人と)別れるために必要な過程なのかもしれないなぁ、と思った。分からないけど。


打合せや準備がいろいろあったとはいえ、3日間も実家にいるといつになく空き時間もあったので、ほったらかしにしてた旅行記の文章まとめたり写真整理したりしてた。祖父も旅行とカメラが好きでした。

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【2013/03/17】
<旅行記インデックスはこちら>


続き。モンマルトルの丘に登る。


モンマルトルの街は、ここまで見てきたモダンなパリともクラシックなパリとも違うけど、これもまたパリ。






派手な落書きも、ここではまぁしゃーないか、って気になる。






カオスな中で居心地良さそうな野良猫。




丘を登る階段に、天然のBGMさんがいらっしゃった。
路上のギター弾き。





素通りしたけどなかなか良い声だな。







*







今回の旅、ほとんどが3回目4回目の場所だけど、このモンマルトルとあとで出てくるパサージュ達だけは初めての観光です。今まで冬ばっかりで、丘の上を散策する気分じゃなかったからかな。


ユトリロ、ピカソetc.馴染みの絵描きさんがたくさん暮らしてた街でもあって、
似顔絵描きさんがびっしりぎっしり、広場を埋め尽くしてる。






*







丘をことこと走り回るプチトラムが可愛い。






丘の上に建つのはサクレクール寺院。意外と新しいんだよね。








階段をがんばって昇って、寺院の上からはパリの街が一望できる。
エッフェル塔も、ラデファンスも、凱旋門も、全部見渡せる眺め。







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ちなみにこんな階段ですよ。





下りはコルト通りを通って。ここすごく可愛い。ゴッホやルノワールのアトリエがあったところだって。
調和のとれた街並み。






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ミュージカルの「壁抜け男」さんと握手。





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「洗濯船」っていう名のアトリエは、ピカソやモジリアーニなんかが使ってた所。







綺麗な通りと雑然とした通りが入り混じって、芸術家の街、って呼び名が似合う。







マルティール通りでおいしいパンとお惣菜を買って帰ってきて、喉が渇いたからホテルのすぐ近くでアイスをテイクアウト。白飛びしちゃってるけどバラの形に盛ってくれて可愛いの。





翌日に続きます。


【2013/02/05】
続き。

左岸へ橋を渡って、ランチはケバブサンド。




ケバブサンドのお店はパリじゅうあちこちで見かける。ちょっとした流行りなのかな。


広場でぼんやり食べてたら、ちょうど目の前にジベールジューヌがあった。
ジベールジューヌは老舗の本屋さん。かわいいノートをいくつか買った。



あと、親友の息子ちゃん用に小さな絵本も。




さて、この次が今日のメインイベントのはずでした。
私にとって「パリ行きたいなー」は「サンルイ島をお散歩したいなー」とほぼ同義で、そこには「レピスリーの薔薇のジャム買いたいなー」が常に含まれてて。
この旅最大の目的と言っても過言でない、8年ぶりのサンルイ島へ、ワクワクして向かったら、




えっ、

なーーーい!!





あのcozyで品が良くかわいく私の大好きだったサンルイ島はもうどこにも無く、タンクトップの観光客が団体で押し寄せるベルティヨンの島になり果てていました。

レピスリーはどこへ行ったのー!?
と探し回るも見つからず。

私がパリに行く二大目的のうち一つだったので大ショック。
しっかり濃くて甘くて、でも上品でしつこくなくて、ほんとに好みのジャムで大好きだったのにー。お店のマダムも、上品なのに人懐こくて、お互い達者ではない英語なのに熱心に商品の説明したり私に合わせたお勧めしてくれたり可愛くラッピングしてくれたり、親切で大好きだったのにー。瓶も可愛くて、壁一面にずらっと並んだ手作りジャムのラインナップは見るだけでわくわくして大好きだったのにー。パリの真ん中なこと忘れるくらい、ゆったりできて居心地良くて大好きだったのにー。
たくさんたくさん買い込んでも大丈夫なように、この後すぐにホテルに荷物置きに戻れるようにわざわざ考えてスケジュール組んだのにー。・・・。
・・・。
。・゜・(ノД`)・゜・。


すっかり意気消沈して、教会にも入らず、もちろんベルティヨンのアイスも買わず帰ってきてしまいました。以前に食べたベルティヨンは確かにおいしかったけど、小さい島に3つも4つも店舗出さなくたって良いじゃない。


レピスリー、もともと情報がほとんど無いお店だったけど、日本に帰ってよくよく調べてみたら、数年前に閉店してしまったみたい。


ショックから立ち直りきれないまま、ぐずぐずと気を取り直してモンマルトルへ向かいます。

【2013/02/05】
<旅行記インデックスはこちら>


【6月20日(水)】

パリの3日目。この日が一番楽しみにしてたんだけど、とてもショッキングな展開に・・。
それは後ほどとして、まずはノートルダム寺院へ。




いつでも観光客でごった返しているノートルダム前の広場も、朝はしんと静か。
8時の開場に合わせて行けば、きれいな姿が見られます。





静かな中で、朝のミサかな?をしてた。(動画)






あまりに有名ではあるけれど、大好きな聖堂です。
大理石の乳白色とステンドグラスの青紫で、パリの街そのものみたい。





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満喫して外へ出てきたら、すっかり眩しくなってた。






次は同じシテ島の、サントシャペルへ。
午前中にこの2つを回ります。


これは何の標識だろう。






サントシャペルは会場が9時半なので、ノートルダムに続けていくとちょうどいい時間。
開場前からちょっと行列ができてた。

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ここのシャンデリアが好き。ここに来ると聖書を理解できるようになりたいなって思う。

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キラキラですっかり気分が穏やかになったあたりでお昼です。

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【2013/01/25】
今までマスコミ叩きには関心無かったけど、今回のは非難せずにいられない。

例えば、震災の時の犠牲者名報道は意味があったと思うよ。通信手段が絶たれてたり、避難で移動してたりで、離れて暮らす家族が安否を知りたくても手段が無いってこともあっただろう。
でも今回のは、家族はもう知ってるし、家族じゃなく野次馬じゃなく本当に知る必要のある人は、家族に電話して聞けば済むんだし。
実名報道してほしい遺族が居るなら、個別に自分で公表したでしょう。実際には、実名出さない約束でマスコミに喋ったら約束無視され写真まで載せられ、って被害が出てる。犠牲者本人に頼まれた訳もなく、遺族も公表しないでって言ってるのに、無理やり公表させてまで実現するべき"報道の理念"?なんてあるわけない。名前とは関係なしに、起こったことの事実はいくらでも伝えられる。

いくらソーシャルメディアが発達したと言われても、やっぱりマスメディアはマスメディアだな、とも思った。都合の良い噂と嘘と、程よく都合の悪い声を並べて見せて、世論操作なんていくらでも自由にできるね。

まるで正義みたいな顔して遺族や関係者の気持ち踏み躙ってる暇があるなら、アルジェリアの歴史でも勉強してよ。被害者の過去を無理やり取材するくらいなら、テロ実行犯の生まれ育ちでも調べて、何がテロを起こさせたのか検証してよ。関係者の辛い顔を無遠慮に大写しするより、あの地域が抱え続けてる問題をみんなに分かりやすく報道してよ。やることいくらでもあるでしょう。



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